毒親育ちは「親子」の意味を考えると生きやすくなる

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こんにちは、もっちーです。

今回は、
毒親育ちは「親子」の意味を考えると生きやすくなる
という話をしていきます。

毒親育ちの人は、ぼくもそうですが
親子という言葉に懐疑的であるような気がしています。

自分の子供なのに、なぜこんな仕打ちをするのか
自分の親なのに、なぜ好きになれないのか

という風に、
親子のつながりが弱く、

なぜ親子なのに

と考えています。

確かに、親子なのに
不幸になる関わり合いを
していることは残念ですが

そこに執着を持ち続けていると、
いつまでも人生は好転しないんじゃないかな、
と思っています。

人生を前に進めていくためには
考え方自体を変えていく必要があり、

それによってずいぶん生きやすくなります

今回は、そんな生きやすくなる考え方のお話です。

血の繋がった他人

大事な考え方とは
親子という関係性を特別視しない
ということです。

親子というのは言ってしまえば
遺伝子情報が近い人
、というだけのことです。

実はたったそれだけです。

では、何が親子を親子にしているのかというと、

心のつながりです。

家族との生活により、

「自分たちは家族だよね」

という意識が作られていれば
それが家族になり、親子になります。

逆に言うと、
積極的に親と子供は関わらないと
親子になれないのです。

実は、子供がどうにも
愛せない親というのは結構いて、

愛せないながらも
一生懸命育てているうちに

なんだかんだ親子だよね、
という意識が作られていったりします。

積極的に関わることで関係性が作られるというのは
親子に限らず、友人、恋人、夫婦など
なんでも同じです。

特に夫婦は
血もつながっていないただの他人同士です。

なのに、濃い人間関係を結ぼうとするわけですから、
お互いが積極的に関わらないと
崩壊してしまうのは当然
といえます。

親子関係も同じです。

親子の場合は、
親が上で子供が下という上下関係が存在します。

親が上なので、
理不尽なことを子供に言っても
子供は従うしかありませんので

子供は心に違和感があっても、
親に従うようになります。

親が権力によって子供を抑えつける、
言ってみればパワハラ上司と
部下のような関係になります。

この場合は、
遺伝子情報的には親子なのですが、

「自分たちは家族だよね」
という感覚が共有できていないので、
実は家族ではない
のです。

もちろん、最低限の食事や
学費を出してもらっている以上
恩が全くないわけではありませんが、

パワハラ上司に仕事を教えてもらったけど、

じゃあ尊敬できるか?
今後関わりたいか?

と言われたらNOと言うしかありません。

毒親はそのくらいの関係性なのです。

血の繋がった親子ではないけど、

強い結びつきの人間関係や
「この人が自分にとっての恩人」だ
という人は存在します。

例えば、養子をとった養父母や
夫婦、何十年も付き合っている友人など。

こういう関係は
血もつながっていませんが、
本当の濃いつながりがあります。

なので、親子というのは
心がつながっていないと感じていたら
それはもう親子ではなくなっているのです。

まとめ

今回の話をまとめると

親子はお互いに歩み寄って
思いやって生活をすることで
本当の親子になっていきます。

そういう生活や経験がないなら、
それは親子ではなく
血の繋がった他人でしかない。

親子だけでなく、
夫婦や友人関係なども同じで、
思いやりがなければすぐ分解する。

という話でした。

今回の話がよかったと思った方は、
ぜひ他の記事もみていってくださいね。

では、また次回の記事でお会いしましょう。