30年間、毒親に人生を歪まされた僕が、実家から脱走して一人暮らしで最高の人生を手に入れた話

こんにちは、もっちーです。

ここに来てくださったあなたは、

人生に生きづらさを感じているか
毒親に人生を

歪まされていると思いますが、

ぼくもまた、
毒親に人生を歪まされてきました。
およそ30年間も。

現在は、大阪にて
一人暮らしをエンジョイしながら
これを書いています。

しかし、当時の経験が
誰かの役に立つのではないかと思い、
この記事を書いています。

今回は、ぼくの自己紹介を兼ねて

どうやって毒親を断絶して
実家から抜け出し、
自分の人生を取り戻せた
のか?を

書いていきたいと思います。

長くなりますが、
あなたの人生を変える
お手伝いができると思いますので、

ぜひお付き合いくださいませ。

人生が始まらない

ぼくが人生で
最初に違和感を感じたのは、
5,6歳の頃でした。

ぼくは子どもの頃は
母親にはベッタリでした。

何故なのか?と考えてみると、
常に無視されていたので
構ってもらいたかった

という気持ちがあったのだと思います。

しかし、あまりにも
無視され、構ってもらえなかったので

「自分は実は本当の子どもでは
ないのではないか?」

と思い、母親にそう
聞いてみたことがあります。

その時は母親にへその緒を見せられて、
実子だと言われました。
(当時はそれが何かはよく分かりませんでしたが)

しかし、正直に言うと、
実子でない方が納得できました。

「実子であるなら、
この対応はなんなんだろう?」

と思うぐらい、
普段から無視されていたからです。

その時の気持ちを思い返すと、

常に不安やイライラがあり、
自己重要感も低かった
ような
気がします。

「親に無視されるぐらいの存在なんだ」
という感覚
が、

葉っぱの枯れた木が立ち並ぶ
殺風景な心象風景を作っているような、
そんな心でした。

そして、無視されるだけならまだしも、

行動の強制、恫喝、愚痴、
ぼくに対する悪口、
満足な食事を用意しない…

など子どもにとって様々な
悪影響のある行為をされていました。

いわゆる、
虐待やネグレクトのことです。

その後は小学校に上がりますが、
そこでも問題だらけでした。

ぼく自身、
問題行動も多かったです。

親から愛されていない、
という感覚

学校内や同級生への問題行動に
つながっていたんじゃないか、
と思っています。

また、いじめもよく受けていて
小学校から中学校の終わりまで
続きました。

厳密に言うと高校までですが、
そのころになると頭が混乱していて
何がいじめで何がいじめでないのか?

それすらハッキリしないぐらい
全てが怖い状態
でした。

対人恐怖症
吃音症
場面緘黙症
潔癖症

この頃に抱えていた問題は
このぐらいありました。

そして、精神の限界を迎え、
自殺未遂を起こします。

この辺りの話を詳しく話すと
とんでもない文量になるので、
軽く流します。

その後は不登校になり、
ひきこもりになりました。

途中、復学して形だけ大学まで進んだものの、
「自分」というものが空っぽの状態だったので
やりたいこともなく、中退しました。

大学を中退してからも、
時々バイトをするものの

ほぼひきこもりのような
生活をしていました。

そして、「何も人生が始まらないまま」
30歳を迎えてしまった
のです。

「なんとかしないといけない」と思うが…

30歳になってしまった
ぼくは焦りました。

「人生、何もないまま
ここまで来てしまった…」

いじめやひきこもり等で
まともに学校で勉強をすることもなく、
まともに社会で働いたこともない。

何も努力したこともなく、
何も積み上げてきていなかった…。

今にして思えば、その全ての原因は
親から始まっているのですが、
当時はそのことも分からず

ただ、自分の不出来さを
呪っていました。

30歳となれば、
これからは就職も
ずっと難しくなるだろう。

そうなれば、
ますます社会に出ることも
できなくなる
かもしれない。

だから、これが人生を変える
最後のチャンス
なのかも…

そう思ったぼくは、
正社員として就職活動を
することにしました。

30歳までバイトや派遣でしか
働いたことがなかったですから、

まともに就職活動も
したことはありませんでした。

転職サイトなどを使ってみるも、
軽くあしらわれることも
少なくなかったです。

しかし、1年ほど活動を続けた結果、
なんとか小さな修理工場に
就職できました。

しかし…

人間関係は上手くいかず、
ミスを連発し
仕事も上手くいかない。

ミス後の対応も悪く、
たった1ヶ月で逃げるように
辞める
ことになってしまったのです。

なぜ自分はいつもこうなんだ
なぜいつも上手くいかないんだ

そうだ、あの時から
ずっとずっと上手くいかなかった…

そんな風に思考がぐるぐる周り、
底のない暗い暗い穴に無限に
落ちていくような失望感を感じていました。

同じ毒親育ちと出会う

その頃、とある理由で
毒親の元で育ったという人と
出会う機会がありました。

その人に自分の話をする中で、

「あなたの親は毒親ですね」

とハッキリ言われました。

それまで、ぼくは自分の家族や
家のことについて誰かに
話すことはなかったので、

自分の家や家族の異常さについて
キチンと認識できていなかった
のです。

そして、毒親や機能不全家族、
アダルトチルドレンなど

関連することは大体調べたり、
聞いたりしていきました。

自分の人生がなぜ歪んでいったのか、
その理由が少しずつ
分かっていった
のです。

また、それと共に
毒親への憎しみが爆発したり
様々な心境の変化を経験していきました。

そして次第に
こう思うようになりました。

「毒親と絶縁して
自分の人生を生きたい」
と。

自分の人生を生きたい

ぼくは慣れないながらも
とにかくアクションを
起こしていきました。

また別の仕事をしたり、
人と交流をしてみたり、
勉強したり。

それまで上手くいかないこと
だらけだったので、
苦労したことばかりですが

とにかく
「自分の人生を取り戻したい」
という一心で行動していきました。

そうしているうちに、
徐々に自分が変わってきたのです。

親に対する態度や心構え。
人生に対する考え方。
コミュニケーション能力。

どれも少しずつ変わり、
『別の人間』になっていきました。

仕事も一応続けられるぐらいにはなり、
少しお金が溜まったことで
ある計画を立てることにしました。

それが
「実家から出る計画」
です。

皆さんは
『刑務所から脱走する映画』
を見たことはありますか?

無実の罪などで収容された囚人が、
日常では普段通りに生活をしているが…
水面下では脱走する計画を進める。

そして、時期が来たら
バッ!と逃げるのです。

脱走するまで日常を装ったり、

脱走する日まで
根気強く生きていくという
登場人物に心打たれる
わけですが、

実家から出た時も
ぼくは似たような気持ちでした。

むしろ、その計画を立てている時は
楽しさやワクワクすら
感じるぐらいでした。

「多分、これが希望なんだな
とすら思ってました。

実際にはそこまで脱走!というほど
雲隠れしたわけではありませんが、
それほどの心境があったのです。

そして大阪のとある所に引っ越し、
一人暮らしを
始めることができました。

ようやく、
ぼくの人生が始まったのです。

ぼくのやるべきこと

大阪に引っ越しをしてからは
一人暮らしを満喫していました。

なにせ、
あの親がいないというだけで、
全てが素晴らしい
ですね。

親の姿も見なくていいし、
声も聞かなくていい。

強制もされない、
恐怖も感じない、
何も感じない。

自分のやりたいこともできるし、
何をしたって自由。

それはまるで、

人生という川が土砂で塞がれて、
よどんで腐ったような
停滞感があったのが、

土砂が綺麗になくなって流れだし、
綺麗な水が流れて
ホタルが飛ぶほどの清流になった

そのぐらいのインパクトでした。

そして、その頃に
このブログを書くに至った
ある出来事が起こります。

それが

「とある人を
毒親のいる実家から遠方まで逃した」

ということです。

プライバシーや毒親被害を防ぐために
あえてボカして言っていきますが、
仮にその人をAさんとします。

Aさんの親は毒親で、
行動を監視したり
強制をするような親
でした。

ぼくは自身の経験から、

「毒親と関わっていると
人生がめちゃくちゃになる!」

と思い、
毒親と離れることを勧め、
助言をしました。

その結果、
Aさんは遠く離れた土地に
逃げることができた
のです。

ぼくはこの時に

「自分の経験が
誰かの助けになることもあるんだ」

と学びました。

昨今、子どもが親に対して
犯罪を犯す
ケースも
見受けられます。

人生の貴重な時間を失うだけでなく、
犯罪にまで走ってしまっては、
人生はそれこそめちゃくちゃです。

人生は親のためにあるのではなく、
自分や次の世代のためにある

ぼくは考えています。

なので、ぼくは
このブログや他メディアで
発信活動をしながら

毒親育ちの人の手助けができないか?
と思い行動をしています。

あなたがもし
毒親に悩んでいるのなら、
何か力になれると思いますので

ぜひこのブログを
色々読んでみてください。

あなたが自分の人生を
生きられることを願っています。