親孝行なんてしなくてよいです。その理由は…

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こんにちは、もっちーです。


今回は
親孝行はしなくてよい
という話をしていきます。

タイトルからして物議をかもしそうなので、
先に言っておくと、
記事を最後まで見てくださいね。

本題に入る前に、この記事を作るに至った、
YouTubeの動画についたコメントを
取り上げたいと思います。

親と距離をとることに足かせをかけているのは、儒教からくるのかわからないが、「親孝行」という考え。しなければ「親不孝」となる。
動物の中で、年老いた親の面倒を見るのは人間だけじゃないだろうか?
親を見捨て自立していくことに「罪悪感」持たない生き方が課題だ。

コメントをしてくださった方、ありがとうございます。

今回はこのコメントから、
色々喋っていこうと思います。

儒教での親とは?

まず、この話は
自分の親がいわゆる毒親であることが前提です。

自分の子どもにも関わらず、
不適切な関わり方をしたり、理不尽な行いをすることで
子どもの心に深い傷をつくった親、それが毒親です。

かつ、親から受けた傷、苦しみが、
親から受けた善い行い、恩より多いことも含まれます。

つまり、子どもに食べ物を与えてお金もかけるけど、
それ以上の生きる苦しみを与えていると
子どもが感じている。これが毒親です。

コメントにあった、儒教の話ですが、
ぼくは儒教はあまり詳しくはないのですが、
ネットで調べた範囲で話すと、


儒教は家族と社会の絆を重視する教えであり、
子どもは親に対して敬意を払い、
感謝の気持ちを持ち、親孝行も推奨しているようです。


ぼくはこの考えには賛成します。
親がまともな人間であるなら、という前提があるならです。

ぼくは先ほども言った通り、儒教は詳しくはありません。

ただ、おそらく儒教の教えは
人として正しく、善い行いをして
生きることを目指して解かれていると思います。

子どもは親に対して敬意を払うのは、
人と人が良い結びつきを持つためだと思いますが、

そもそも親が毒親であり、悪人であるなら
敬意は払えないですし、
親孝行もできません。

親から愛を貰えていて、
通常の心を持っている場合に限り、
この考え方ができるのだと思います。

つまり、儒教の教えを
持ち出してきていることが間違いなのです。

そもそも親孝行ができない

次に親孝行です。

親孝行とは、子どもが親を敬うことです。

敬うとは、相手に礼を尽くすことです。

礼を尽くすとは、相手に感謝の気持ちを伝えることです。

感謝を伝えるとは、要は「ありがとう」と言う事。

あなたは、
親に「ありがとう」と返せるようなことを
されているでしょうか?

多分、されていないと思います。

それが答えです。

つまり、あなたは親に親孝行は
しなければいけないのではなく
することができない、のです。

なぜなら、返す「ありがとう」が無いのですから。

毒親に罪悪感を植え付けられている

まだ腑に落ちない人がいる思いますが、
ここでコメントにあった
「罪悪感」というワードが大事になってきます。

別の記事でも言っていましたが、
子どもにとって親というのは
創造主であり、神様みたいなもの
です。

親がこの世界の中心であり、
絶対に間違っていない存在と
子どもは思っています。

なので子どもは、親との関わりの中で
何か問題が起こったときに、
それが親ではなく、自分のせいだと考えます。

母親と父親が喧嘩している、自分のせいだ。
家にいつもお金がない、自分のせいだ。
親がいつもイライラしているのは、自分のせいだ。

だって、親が正しいから…。

だから子どもは罪悪感を感じているわけです、
自分のせいだと思いこんでいるから。

なので、最初のコメントをしてくださった方は、

親にできない親孝行をしようとして、
それを自分のせいだと思い込んでいる。
親不孝だと思い込んでいる。

こういうのを「洗脳」と言います。

このコメントをされた方は、
自分が「洗脳」されているんだな
と思った方がよいですね。

まとめ

今回のまとめです。

親孝行は、親にありがとうと返すこと。
ありがとうと返せるようなことがないなら、
親孝行はできません。

そして、子どもは親という
創造主が正しくなるように、
親を無意識にかばってしまいます。

だから、子どもは知らず知らずに
罪悪感でいっぱいになり
生きづらくなっていくのです。

なので、皆さんは一切、何も悪くありませんし、
できない親孝行に頭を悩ませることはないのです。